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飛鳥寺と蘇我氏(大人の遠足情報)

2011/01/30 Sun

大人の遠足情報のその2です

石舞台古墳を見て、飛鳥鍋を食べたあとは今回のメインテーマである飛鳥坐神社で行われる
「おんだ祭り」の見学ですが、このお祭りは文章にするのがとても難しいのです。
ひとつだけ、プチ知識として、おんだ祭りを感じで表すと「お田植祭り」だそうです。

このお祭りはだいたい3時頃に終了して、そこで現地解散となるのですが
せっかく飛鳥まで来てそのまま帰るのはあまりにももったいないと思いませんか?

そこで、私のおすすめは

「飛鳥寺」!
飛鳥寺


飛鳥の代表的なお寺の一つがここ飛鳥寺です。

飛鳥寺は588年に百済から仏舎利(遺骨)が献じられたことにより,蘇我馬子が寺院建立を発願し,596年に創建された日本最初の本格的な伽藍配置の寺院です。
 壮健当時は法興寺とよばれた蘇我氏の氏寺でしたが、平城京遷都とともに移転し,元興寺と名を変えました。このとき,飛鳥寺に使われていた建築材も運ばれ再利用されました。瓦もそのまま使われ,現在でも元興寺の屋根として残っています。しかし,大仏は本元興寺と名を変えた飛鳥寺に残り寺が焼失したあとは。安居院が1828年に建てられ,この大仏を安置しています。

元興寺の屋根瓦がこれです
元興寺

飛鳥大仏がこれ
飛鳥大仏
現存している中で日本最古の仏像です。
他の仏像と違うのは、手の指と指の間には水鳥の足のようにひだがついていて繋がっていること。これは、何人たりとももらさず救い上げるという仏の教えを表しているそうです。

ここまでが、普通の解説で
ここから先は私の妄想の世界ですので軽く聞き流してください(笑)

さて、この飛鳥寺は」蘇我馬子が発願して建立された本格的な伽藍配置をした日本最古の寺院である事は先に述べましたが、

さて、この飛鳥寺(法興寺)の初代館長は誰だったでしょうか?
 
正解は、蘇我馬子の長男で、蘇我善徳(そがのぜんとこ)だったといわれています
なぜ、「だったと言われています」という表現なのか?

実は蘇我氏の系図に載っていない事があるのです。
その為に、実は蘇我蝦夷であったのでは?
という解釈も存在しています。

実際、日本書紀の記述にも善徳が飛鳥寺の初代の責任者であったという他には
この人物が全く出て来ない。
言ってみれば、歴史から消されてしまっています。

この謎の人物が何故か気になる。

どこが?

それは、、
名前です。

蘇我氏といえば、
有名な名前は
馬子、蝦夷(毛人)、入鹿
そのどれもが蔑称、つまりあまりいい意味の名前ではないのです。
それなのに、なぜこの人だけが、「善」、「徳」といういい文字があたえられているのか?
馬子や蝦夷、入鹿も本当の名前でなく、日本書紀が編纂された時に名前がかえられたのでは?
という説もありますが、それならなおさらおかしくないでしょうか?

それともうひとつ、

善徳とよく似た名前の謎の人物
仏教を暑く保護し、
蘇我系のお寺の主人となった
とても有名な人物。

実在しなかったのではと言われている
聖人と讃えられているその人、


そう!

聖徳太子に似ていると思いませんか?

聖徳太子=蘇我善徳

あくまでも妄想ですが何故か気になります。


そんなこんなことを思いながら配管する「飛鳥寺」

また、違う見方が出来るのではないでしょうか?



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